「蒼」と書いて「あおい」と読み、「蒼色」と書いて「そうしょく」と読みます。
あおいと云っても、ユングやフロイトが説いたようなメランコリーを含む青ではなく緑色です。
「蒼」は生い茂る緑
蒼は草木が生い茂る様子を表現しており、色としては緑色のグループに入ります。そもそもは「倉」の屋根に青々とした「草」が生えている様子を指していたそうです。
地球上には雑草さえも生えない過酷な土地もありますが、日本のように常緑広葉樹の森が広がる所に住む人達は、緑色を細かく分類したがるようです。
鶸色・鶯色・深緑・濃青・中青・薄青・薄木賊・若草色
若菜色・若苗色・柳葉色・松葉色・萌黄・萌木・萌葱
ざっと書き出しただけでこんなに。


日本人の哲学美学の下地に或る色かな
カラフルな絨毯ではなく、永らく畳に座って生活してきた日本人にとって深い山々の緑は、哲学美学を育んでくれた素地と云ってもよいのではないでしょうか。
もちろん芸術もしかり。山登りが好きだった東山魁夷先生が、長野の山で見た光景に心動かされ創作していたのは有名な話ですが、自然の緑は画家にインスピレーションを与えてくれる存在でもあったのですね。
緑は肥沃を表し、その切実な願いも引き受ける
クレオパトラが愛した宝石は、エメラルドだそうです。
乾燥した土地に暮らす人が、洪水の後にもたらされる肥沃さに、どれだけ感謝と安堵心を捧げていただろう思うと、緑色の宝石を有り難く思う気持ちがよく理解できますね。
マインドフルネスの原点
ニュートンとゲーテが対立していた頃、ゲーテは、緑には「これ以上何も欲するものはないといった安らぎがある」と書き、ルドルフ・シュタイナーは「緑は生命の死せる像を表す」(命の循環を表している)と書きました。
それから約80年後、モネが描いた「睡蓮」には光と影と 時間を切り取ったような「一瞬の輝き」があります。 しかも、なんだか素粒子論を思い起こさせる画風で。
緑には自然と畏怖崇拝する死生観と安心感が同居していたのは間違いない事ですが、加えて、過去も未来も無い今の瞬間を感じさせる色でもある気がします。
中村天風先生曰く、過去は及ばず未来はしれず。
今一瞬のマインドフルネスを表現するという、広くて深い慈悲の色なのではないかと思いました。

意外と染めるのが難しい緑色。植物染料を主体とする草木染ではよもぎや葛の葉を使います。
鉱物から顔料を作る場合は、孔雀石が主原料です。クレオパトラもアイシャドーに使っていたのだとか。
東山魁夷先生の東山ブルーは「藍銅鉱(らんどうこう)」という鉱物で表現されています。